当時、土匪には宜蘭地方の林火旺、北部の陳秋菊、南部の林少猫という3つの大きな勢力があった。 林火旺、林少猫は容易とまでは言わないが、陳秋菊に比べると比較的スムーズに帰順を受け入れた。
実際に、明治31年(1989年)7月28日、後藤新平は宜蘭に入り、林火旺・林少花・林朝俊以下の700数名の土匪との間で帰順式を執り行った。この帰順式に参加するために後藤新平は、護衛を付けず、部下一人だけを連れて宜蘭へ入っている。後藤のこの行動は、西郷菊次郎の陳秋菊との交渉スタイルを参考にしたとも言われている。
さて、その西郷菊次郎と陳秋菊との交渉だが、かなり難航した。陳秋菊は最初、西郷が提示した帰順条件を一切、信用していなかった。
後藤新平が考え抜いた結果導き出した帰順条件。一言で言うならば、土匪に対し、仕事も家も金も与えるという出来過ぎた条件と思われるほどの内容だったからだ。
陳秋菊はそれまで武力で一方的に制圧しようとしていた日本が何故、これほどまでに急変し、我々土匪にとっては恵まれた内容とも思える提案をしてきたのか。そこには必ず裏があると思い込んでいた。
陳秋菊がそこまで疑うのには理由があった。清朝時代、清軍は原住民に対し、同じような内容の提案をし、宴会を開き、酒に酔った原住民を清軍が一斉に攻撃し、虐殺するという裏切り行為を繰り返していた事を陳は知っていたからである。
西郷もその点は了解済みであった。そのため、西郷は自分の故郷である奄美大島が当時の薩摩藩にどれだけ痛い目に遭わされ、苦々しい思いをしたかを陳秋菊に話した。
西郷は決して焦らなかった。じっくりと時間をかけて陳秋菊との人間関係を構築していった。西郷は逐一、状況を後藤新平に報告していた。後藤も西郷に交渉を任せると決めた以上、西郷のやり方で交渉を続けて欲しいと願っていた。
「西郷さん、陳秋菊さえ帰順に応じさせれば、後は一気にあらゆる問題解決の方向へ進んでいくだろう。台湾を発展させるためには陳秋菊は避けては通れない。故に、急いで欲しいという気持ちが無いと言えば噓になるが、同時に、簡単に話が進むとも思っていない。全てをあなたに託した。何卒よろしく頼む」と後藤は西郷に言葉をかけた。
西郷は後藤の気持ち、すなわち「一刻も早く問題を解決し、台湾統治を前に進めていきたい」という気持ちを十分に理解していた。
実はこの頃、台湾総督府では台湾北部の産業発展のために必要不可欠な道路建設の計画も進んでいた。道路をつくるためには、用地の買収が必要であるが、北部の大地主が陳秋菊だったのだ。
ほぼ毎日の様に西郷は陳秋菊の元を訪れた。時には、酒を持参し、一晩中、陳やその仲間達と飲み明かしたこともあった。次第に、陳は西郷に対し心を開いていくようになり、交渉最終段階を迎える頃には、彼らは自らが西郷との交渉を希望する様になった。
交渉を開始して数か月、具体的な条件がほぼ固まった。
まず、用地買収費として2万円(現在の価値に換算して約7,600万円)。さらにそれに加えて、帰順に際し、自分や部下たちの当面の生活等々も含めて合計で8万円(現在の価値に換算して約3億円)を現金で揃える事を要求してきた。
西郷から総督府の横沢秘書官を通して後藤新平・児玉源太郎にその内容が届いたのは既に、夜の10時頃であった。ここで一つ、大きな問題があった。それは、陳秋菊が指定してきた帰順式の場所は宜蘭、しかも時刻まで指定し、その時刻まで12時間も無かったのである。指定時刻を過ぎた場合は、全て白紙撤回するというのが、陳の条件だった。
当時、台北から宜蘭まではまともな道路もなく、当然、鉄道も走っていない。どんなに急いでも8時間はかかる。そうなると、夜明け前には台北を出発しなければ帰順式の時刻には間に合わない事になる。
報告を受けた児玉源太郎総督は頭を抱えた。
「陳の奴、我々の足元を見たな。要求してきた金額もそうだが、帰順式の場所と時間まで指定してくるとは。」と怒鳴った。
「うーん、さすが白馬将軍と言われ、他の土匪からも一目置かれる存在のことだけはあるが、感心している時ではないですな。8万円という大金、今の総督府の機密費を全部吐き出しても足りません。困った。」と後藤新平も頭を抱えた。
その様子を見ていた横沢秘書官が後藤新平に対し「あの、上手くいくかどうかはわかりませんが、あの人物に相談してみては如何でしょうか」と小声で伝えた。
後藤は、「あの人物?誰の事だね」と怪訝そうな顔で横沢をにらみつけた。横沢は、「よく総督府に出入りしております、私共と同郷の大倉組総支配人の賀田金三郎でございます」と伝えた。
「賀田金三郎・・・・。確か君は長門国の萩だったな。と、言う事は今の山口県。総督も同じ。」と後藤はつぶやき、そして「賀田金三郎も同じ萩の人間。しかも大倉組の総支配人。賀田と言う人物、大倉喜八郎からも信頼されている人物と聞く。」と言うと、「横沢君、直ぐに賀田を呼び出してくれ」と命じた。
総督府で大騒ぎになっている頃、この後、とんでもない事態に巻き込まれるとは夢に思わず、賀田は夜10時を過ぎてもまだ事務所で仕事をしていた。