jonathanheart’s blog

第一段 台湾の近代化に大きく貢献した盟友 賀田金三郎が語る後藤新平 第二段 東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編

東台湾に眠るもう一つの日本の歴史 惠門山延命地藏尊(現、普明寺)と高砂(水源)神社跡 【花蓮縣秀林郷】

【惠門山延命地藏尊(現、普明寺)】

 花蓮県秀林郷佳民部落の中に、1922年(大正11年)に建立されたお寺があります。現在のお寺の名前は「普明寺」。原住民・太魯閣族の部落である佳民部落に、お寺が今でも残されているのは珍しい事。

このお寺を建立したのは、当時、鹽水港製糖会社・北埔農場(元賀田農場)の主任を務めていた善村忠吾氏。

当時、原住民による襲撃やマラリアに苦しんでいた日本人。日本人の平安な生活を願い、善村氏は、日本より地蔵菩薩を運び、この地に木造建築の寺院「惠門山延命地藏尊」を建立しました。第二次世界大戦が始まってすぐに、寺院は破壊されてしまった。その原因は不明であるが、佳民部落に空襲があったという話は聞いたことがなく、空襲によって破壊されたとは考え難く、想像するに、原住民によって破壊されたと考えるのが自然の様な気もする。

その後、1960年に許聰敏先生が発起人となって、「普明寺」として再建されました。現在の普明寺には地蔵菩薩以外に、釋迦牟尼佛、藥師佛、觀世音菩薩が祀られています。

また、1963年には證嚴法師が花蓮に来た際に、普明寺の裏の小屋で修業を行い、その後、1969年に台湾で最も大きな宗教法人である「佛教克難慈濟功德會」を開いたことから、「慈濟発祥の地」とも呼ばれています。

2010年3月には、善村忠吾氏のご子息である善村孝氏がこの地を訪れています。

 

【普明寺が建つ佳民村の秘話】

現在、佳民村と呼ばれているこの一帯は、日本統治時代は、「埃卡托山(アイカトサン)」と原住民達は呼んでいました。実はこれには面白い逸話があり、日本統治時代、この部落を管理していた派出所の警察官が地蔵菩薩を「仏さん」と親しみを込めて呼んでいました。それを聞いた原住民達が「ホトケサン」という発音を「アイカトサン」と聞き間違い、その「アイカトサン」がそのまま、部落の呼び名となりました。

 

普明寺

 

證嚴法師が修行したとされる小屋(日本時代の建造物)

 

*普明寺:花蓮縣秀林郷佳民121號

 

高砂神社(別名 水源神社)】

 昭和6年(1931年)9月26日に花蓮縣秀林郷水源村(砂婆礑)に鎮座した高砂(水源)神社。

当時は、開拓三神*1と北白川宮能久親王がお祀りされていました。

戦後、神社は完全に潰されてしまい、現在はその跡地一帯に、明山道堂という廟が建っています。

 神社跡の痕跡を探しに行きましたが、廟の下の草むらにわずかにその痕跡を見つけることが出来ました。(敷地は明山道堂の私有地となるため、事前に、許可を得て調査を行いました)鳥居は戦後も残されていましたが、現在の廟への入り口拡張工事の際に、撤去されてしまいました。

 「水源」と名付けられている様に、ここには、日本統治時代に建設された水源地があります。この工事には、原住民・太魯閣族の人々が大勢駆り出されました。当時の花蓮港廰は、この地一帯を花蓮港市(現在の花蓮市)の水源地とすることを決め、用地買収を行いました。工事は24時間体制で行われ、非常に過酷な現場であったと言われています。

 

【水源村秘話】

明山道堂でであった台湾人のご婦人(ご本人の希望でお名前は伏せます)は、「この村が水源地として選ばれ、用地買収が行われたが、当初は、この付近は台湾人が土地を所有していました。私のお爺さんもこの地に土地を所有していたのですが、売却し、そのお金で、水源村の別の場所に家を建てました。工事が始まると、原住民達が大勢やってきて、彼らの宿舎も立てられました。

工事が終わると出ていくと思っていたのですが、工事終了後も原住民達はこの地に居座り、いつの間にか、家を建て(無許可で)、住みつき始めました。戦後、台湾政府は、この地を原住民の土地として認めてしまい、今では、完全に原住民の部落になってしまいました。当時、土地を売って、村内に家を建てた台湾人の多くは、別の場所に引っ越ししていきました。私も、一時期は引っ越しを考えましたが、明山道堂のお世話をする人が居なくなると困るので、今でもこの村に住んでいます。」と語られました。

 「原住民に対する差別はありますか」という質問を受ける事がありますが、表向きは差別はないとされていますが、明らかに差別は存在します。特に、花蓮では、太魯閣族に対する差別が最も大きいと言えます。「秀林部落」の章でもご説明しましたが、定職につかない太魯閣族が多かった事と、お酒によるトラブルが多かった事が原因で、台湾人は原住民を嫌います。

 

 【日本人がよく誤解している高砂族

現在、台湾には17に部族がいます。(実際には、24部族居るとも言われていますが、政府が認定している原住民は17部族)その内、6部族が花蓮に住んでいます。人口32万人の花蓮縣の約30%が原住民です。

さて、よく日本人の方から「高砂族という部族はどこに住んでいますか?」と質問を受けます。実は、高砂族という部族は存在しません。原住民全体を高砂族と日本統治時代に呼んでいました。すなわち、高砂族=原住民族の意味です。

豊臣秀吉の時代、台湾は「高砂の国」と呼ばれていました。その名残とも言えますが、日本統治時代は、戦前までは原住民族の事を「蛮人」「蕃族」「蛮族」と呼ばれていました。(原住民の部落は「蕃社」と呼ばれていました)

しかし、戦争が始まり、フィリピンなどでのゲリラ戦が必要となってくると、ゲリラ戦に長けている原住民だけの部隊を構成する必要性が出てきました。そして、その部隊名を決める際に、原住民を高砂族とし、部隊名を「高砂義勇隊」と命名したのです。

 

 【原住民の身分証】

台湾国籍を有する者は全員がIDカード(身分証明書カード)を所持しています。

IDには、氏名、住所、ID番号、性別などが記載されていますが、原住民の場合、平地に住む原住民と山に住む原住民とに分けられ、その旨の記載もされています。これには理由があり、選挙の際、平地原住民は、平地原住民の候補者、山地原住民は山地原住民の候補者にしか投票することが出来ません。(縣、市長及び総統選挙は別)そのため、身分を明らかにしておく必要があるからです。

また、原住民所有の土地は、原住民間でのみ売買が許されます。原住民の土地を台湾人が購入する事は出来ません。これは、原住民の歴史ある土地を守るためと言われています。この土地売買の際にも、IDカードが必要なため、IDカードへの身分記載が義務付けられています。

 ただし、これもあくまでも表向きの理由であるという意見もあることを付け加えておきます。

 

高砂(水源)神社の痕跡

 

*高砂(水源)神社跡:花蓮縣秀林郷水源村112號

 

*1 開拓三神(かいたくさんじん)は、北海道神宮など、日本本土ではなく近世や近代以降に大和民族が進出したアジアの地域、いわゆる「外地」に新たに建立された神社に祀られている三柱の神の総称である。

大国魂命 - 国土そのものの神霊

大己貴命 - 国造りの神

少彦名命 - 国造りの協力神