jonathanheart’s blog

第一段 台湾の近代化に大きく貢献した盟友 賀田金三郎が語る後藤新平 第二段 東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編

台湾近代化のポラリス 新渡戸稲造3 後藤新平との初対面

新渡戸稲造に対する曽禰荒助からの3度にわたる熱い要望に応えるべく、新渡戸はアメリカを後にして一旦、日本へと戻った。

日本へ戻って来た目的は、丁度、東京へ戻っていた後藤新平との面会であった。この面会は後藤から切望したものであった。

「さて、アメリカからお戻りになった新渡戸先生を、神戸で後藤長官の秘書官がお出迎えに来ておられた。お二人はそのまま新橋に向かわれ、新橋には別の秘書官がお出迎えに来られていた。その秘書官が言うには『後藤がこれから直ぐに、自宅までお越しいただきたいともうしております。実は、ご本人が新橋まで新渡戸先生をお出迎えする予定にしておりましたが、インフルエンザの為高熱が出て、一週間ほど寝込まれております。後藤は、一刻も早く新渡戸先生にお会いしたので、失敬ながら自分の寝ているところまでお越しいただきたい。』とのことだった。

新渡戸先生は、自分を認めてくださった後藤長官と一刻お早くお会いしたいとお考えだったので、秘書官と共に、麻布の後藤長官の邸宅を訪問された。

後藤長官の邸宅に到着された新渡戸先生は早速、長官のお部屋を訪れ、ベットに横たわっている後藤長官と初めて対面された。その時の新渡戸先生の後藤長官に対する印象を後日お聞きしたのだが『後藤長官は色が白く、鼻筋が通っており、目も大きく、お顔立ちは非常に良いお顔立ちをされており、女ならざる私もすっかり惚れ惚れとしたほどだった。』とおっしゃっていた。」と賀田金三郎が、賀田組若手従業員達に話すと、最年少の森が「後藤長官は男前ですからね」と言うと、集まっていた全員が「確かに」とうなずいた。

 

ベットから起き上がり、そのままベットに座った状態で、後藤は新渡戸を迎え入れた。新渡戸は後藤に対し、「後藤長官初めまして。新渡戸稲造でございます」とあいさつをした。後藤は「誠に失敬した。出迎えにも出ないで、甚だすまなかった。君も帰国したばかりでまだ家にも帰っていないそうだね。では早速、用談をしよう。君は役人になるおつもりかな」と新渡戸に問うた。新渡戸はこの問いの真意が理解出来ず「それはどういうことですか。台湾総督府へ行くということは役人になると言う事ではないのでしょうか」と答えると「それはそうだ。ある意味役人になると言う事だが、僕が言うのは管制の文官になるということだよ。」と後藤が言った。これに対し新渡戸は「実は私共、そういう事には非常に疎いのですが、文官でない役人というのが別にあるのでしょうか」と聞き返した。これに対して後藤は「文官以外の役人というのはある。嘱託というものだよ。嘱託の場合、給与は君が望むだけ上げることができるが、文官というのは決まっている。君の経歴から見れば、文官の場合、技師で五等になるので、給与の方は四級でなければ文官として採用する事が出来ない。しかし、それでは君に対してあまりにも気の毒なので、嘱託になれば、君が望むだけの給与を支給できる。君は幾らぐらい欲しいと思っているのかね」と誠にストレートな質問を新渡戸にぶつけてきた。新渡戸は後藤の質問に対して「そもそも私自身は月給取り以外の道はないとおもっておりました。こちらが提示した額が高いだの低いだという議論は好みませんので、文官でよろしいかと思います。後の事はお任せいたします。」と答えると後藤は「そうか。わかった。で、文官ならば、月給は幾らが希望だね」と聞いてきた。新渡戸は「ですから、その件はお任せ致します」と再度、後藤はに答えると後藤は「うーん」と言って腕組みをしながら少し考えた後、「それではあまりにも少ない。どうだね、三等文官として、月給は1000円ぐらいは出そう」と言った。その金額を聞いた新渡戸は内心驚いた。

当時、陸軍大将で500円、一等判事で75円、そして、台湾総督で500円が月給であったので、後藤が新渡戸に提示した1000円という月給が如何に破格であったかが理解出来る。新渡戸も後藤のこの提示額には驚き「喉から手が出るほど欲しい金額であった。」と後に懐古している。しかし新渡戸が後藤に対して発した返答は「女郎でもあるまいし、金で身を売る考えはございません。故に、金の話はもうこの辺にしておきませんか。私は、児玉さんという方はお偉い方だと聞いております。その様なお方の下で働けるだけで幸せ者だと思っておりますので、お金の話はもうやめましょう。」と言った。新渡戸の返事を聞いた後藤は腕組みをして目を閉じたまましばらく考え込んだ。そして「わかった、わかった。でも、これは大切な事なんだよ。ところで、誠にご苦労だが、君が家に帰る前に、児玉さんのところへ寄って欲しい。おそらく児玉さんも同じ質問をするだろうが、その時は、今と同じ返事をしてくれたまえ」と言った。新渡戸は「承知致しました」と言い、後藤に別れを告げ邸宅を後にした。

これが後藤新平新渡戸稲造との初めての出会いであった。

 

「君たちは後藤長官がいきなり月給の話を新渡戸先生にしたことをどの様に思うかね」と賀田は集まっていた賀田組若手従業員達に問いかけた。しばらく全員が考えた後、最年長の菊地が「正直、初対面で、いきなり月給は幾ら欲しいと言われても返事のしようがないです。後藤長官には失礼ですが、あまりにも露骨にお聞きになり過ぎではないでしょうか。何せ初対面ですからね。」と答えた。賀田は「確かに初対面でいきなり月給は幾ら欲しいと聞かれると面食らうだろう。しかし、私は、情に厚い後藤長官らしい質問だと思った。後藤長官は非常に情に厚いお方であることは諸君もよく知っていると思う。月給については誰でも気になる所だが、なかなか自分からは聞きにくいという面がある。また、規則で定められた月給では、新渡戸先生の能力を考慮すると低すぎると後藤長官は思われ、あえて、初対面で月給について質問された。新渡戸先生のお答えは後藤長官ならば予想されていたはずだ。だから、先生の能力に応じた金額をご提示されたのだよ。新渡戸先生への尊敬の念と、期待の大きさでもある。」と賀田は言い、「誠に後藤閣下らしい」とつぶやいた。

 

後藤新平新渡戸稲造

久恒啓一 図解WEB 資料/後藤より引用

 

【参考文献】

新渡戸稲造 後藤新平伯を偲びて

明治職官沿革表附録 歴年官等俸給表明治22年

国立公文書館 アジア歴史資料センター テーマで見る日露戦争