jonathanheart’s blog

第一段 台湾の近代化に大きく貢献した盟友 賀田金三郎が語る後藤新平 第二段 東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編

台湾近代化のポラリス 麻布の後藤新平邸宅

「社長は、後藤長官の麻布にあるご邸宅には行かれた事はあるのですか?」と賀田組若手従業員の中では最年少の森が賀田金三郎に尋ねた。賀田は、「ああ、日本へ戻った時、後藤長官も日本にいらっしゃる時は、必ず、ご挨拶にお邪魔しているし、年始のご挨拶は必ずお邪魔しているからね。」と答えると、森が「何でも大邸宅だとお聞きしたのですが、本当ですか?」と興味津々の森は続けて質問してきた。賀田は、「六本木交差点から霞町に向かう道を途中で左に折れ、桜田町への坂道を上がっていくと、通りの左側に、閣下の宏壮なお屋敷がある。門番が控える立派な門から望むと、築山の周囲に車回しが巡っていて、さらに東側に、壮麗な母屋と洋館が並んで見える。そこを中心に、車回しを挟んだ南北には、屋敷の南に「南荘」、北に「北荘」と呼ばれる立派な日本家屋がそれぞれに建っていて、母屋の北東にはお花畑がある。(現在の元麻布三丁目、中国大使館付近)

邸宅の広さは7000坪(約150m四方、サッカーコート3面以上)はあるね。

母屋には後藤閣下と和子夫人、閣下のお母上の利恵様そして、閣下のお姉様である椎名初勢様がお住みになっておられた。洋館は来客用にご利用されている。

「南荘」には閣下のご長女である愛子さんとそのご主人、鶴見祐輔さんとご子息の俊輔さんと和子さんがお住まいだ。」とここまで言うと、森が「えっ、和子さんって、後藤長官の奥様と同じお名前?」と言った。賀田は、「実は、閣下の奥様である和子様がお亡くなりになって2か月後に愛子さんと祐輔さんとの間に閣下のお孫さんになる女の子がお生れになった。そこで、閣下は「妻の和子の生まれ変わりだ」とおっしゃり、奥様のお名前をそのお孫さんに名付けられたのだよ。」と答えた。森は「後藤長官は、本当に奥様の事を大切に思われていたのですね。」と感慨深そうに言った。

賀田は話を続けた。「北荘」には閣下の弟さんの彦七さんご一家が住まわれている。閣下のご長男、一蔵さんご一家も屋敷内に住んでおられるが、場所は承知していない。

ほかに2人の執事、常時数人の秘書と書生たち、門番、運転手、女中たち、庭師の老人等が常駐されている。 

お姉さまの椎名初勢様は、25歳の時に藩校の立生館の教授をされていた夫の椎名辨七郎様と共に北海道に渡られたが、大変苦労をされ、明治16年(1883年)、閣下の実父の実崇様がお亡くなりになったのを機に夫とは別居され、お母さまの利恵様と共に東京へお戻りになり、閣下と共にお暮しになった。お子様がいらっしゃらなかったので、閣下の甥にあたる後藤悦三郎さんを養子に迎えられた。悦三郎様は、あの有名な高野長英氏の血筋にあたられる。

弟さんの彦七さんは、閣下とは8歳違いで、非常に達筆な方だ。閣下のあいさつ原稿の浄書もされている。

お二人は閣下のご活躍を表に出ずに支えておられる非常に魅力的なお二人だ。初勢様は、強い精神力をお持ちの方で、誠実で善良なお心をお持ちの方で、会った人全てを魅了するお方だよ。

その一方で、新聞や雑誌をよくお読みになるお方で、新聞などに掲載されている閣下の言動に対し、批判されたり、からかわれたりする一面のお持ちで、これには閣下も『賀田君、姉には本当にかなわんよ。』とよくおっしゃっている。」と笑いながら話した。

そして急に険しい顔に変わった賀田はさらに話を続けた。

「実は、この邸宅であってはならない事件が起こった。

大正7年(1918年)2月18日に、革命ロシアとの国交樹立路線を主張された閣下に反発する「赤化防止団」の一員が、邸内に押し入って、家財や窓ガラスを破壊する乱暴を働いた。さらに10日後に、再び右翼の暴漢が母屋の玄関に押し入ったのだ。その際、面会に応じようとしたご長男の一蔵さん(愛子の兄)が、下駄で頭を殴りつけられて大けがを負われた。これらの事件は、いずれも記事差し止めが命じられ、国内紙では報じられなかった。だが、外字新聞には大きく報道されて、すぐに世間の知るところとなってしまった。

さらに、二度にわたる乱入事件のあいだに、同月20日に、邸内で同居していたお母様の利恵様が、数え99歳でお亡くなりなった。親孝行な閣下は、お母様をエレベーター付きの洋館の二階に住まわせたいと考え、チェコ人の建築家アントニン・レイモンドの設計で、その工事が続いていたのだが、残念ながらエレベーターは間に合わなかった。しかし、閣下は計画通りに洋館を完工させて、エレベーターはお孫さんたちの遊具として使われるようになった。」と語った。

 

 

後藤新平の実父と実母

 

 後藤家家系図

(共に、奥州市後藤新平記念館より)

 

【参考文献】

岩手日日新聞社 2021年1月16日付

和賀亮太郎 『後藤新平の話』